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くるくる「せんとくん」
大預言をします。
将来、日本の首都は宮城になります!
多分そうなると思います…(いきなりトーンダウン、笑)
いろんな面から見ていきます。
(11/15、かなり改訂)

魔方陣方面から
京都から江戸へ首都が移ったわけですが、
京都のししんでんからやんごとなき場所にラインを引いてみました。
そして京都を中心にしてそのラインを、
反対側にパタンと倒してみました。
ウラ東京長州.jpg
山口県の端のほうですが、ここも立派な「長州」だと思います。
ポイントの東方3kmに「秘密尾」って地名があるんですが、
かなり不思議な地名ですね。
またラインの延長線は山口県(長州)の端から端までを通ってます。
そういえば「山口県」って昔から「西の京」って言われてましたよね。
明治になってその本当の意味が解かれた、なんちゃって…
ウラ東京長州拡大.jpg

薩長の努力の結果、明治という時代が迎えられたのは、
間違いない事実です。他にも朝廷サイドについた藩はありましたが、
この二藩が中心ってイメージです。
地形的に見れば、京都を中心に「東京(江戸)」「山口(長州)」が
バランス取れた位置にいることになります。
京都が江戸をやっつける為に使ったのが、
正反対にいる「長州」だったなんて良く出来た話です。
となると、もうひとつの「薩摩藩」は?
(島がいっぱいある鹿児島県ですが、今回は本土だけで調べてみました)
鹿児島県の四端を京都を中心にパタンと倒してみると、
ウラ宮城薩摩.jpg
宮城県の半分以上が含まれるラインになりました。
太平洋や福島県も含まれますが、中心地の仙台は「ウラ薩摩」の範囲です。
鹿児島県じゃなく「薩摩藩」と考えると、
現在の宮崎県西南部も含まれるそうなので、
宮城県南部まで「ウラ薩摩」が広がります。
(もしかすると宮城県スッポリ全部?)
宮城鹿児島.jpg
だから「東京の次が宮城」なんて馬鹿げてると思いますが、
もうちょっと続けます。

県名方面から
「宮城、宮城」って違和感無く書いてますが、
明治・大正、昭和中期までの人はちょっと違ったと思います。
なぜから現在「KOUKYO」のある場所も「宮城」と呼ばれていたからです。
(読みは「KYUJO」ですが)
ここでWiki様による「KOUKYO」改名の歴史
* 1868年(明治元年) 江戸城が東京城と称される。
* 1869年(明治2年) 東京城が皇城(こうじょう)と称される。
* 1888年(明治21年) 宮城(きゅうじょう)と称された。
調べると第二次世界大戦までそう呼ばれてたそうです。
戦争をイメージさせる「城」は使えなかったので改名したんでしょうか。
(って事は戦争に負けてなきゃ現在も「宮城」?)
宮城県の方は廃藩置県の時に改称したそうなので1871年頃かな。

つまり先に命名されたのは「宮城県」の方だったんです。
いきなり同じ名前になってしまって不安を覚えた宮城県の人が、
お伺いを立てるとなんと、OKが出たそうです。
そんな「宮城県」改名の理由は色々あるそうですが、
幕末に朝廷側につかなかった罰、ペナルティの面もあるようです。
「県名と県庁所在地名が同じ県、違う県」
「藩命が県名になった所、群名が県名になった所の差」などです。
はっきり言いづらいですが「仙台県」じゃなくて「宮城県」って事は…
そんな「宮城県」と「宮城」
勝手な妄想ですが、わざと同じ漢字を使ったんじゃないでしょうか。
京都を中心に薩摩とコントラストを成す位置関係だったから。

こんな事を書いてますが、
「たかが魔方陣ごとき」に導かれて日本の歴史が動いてるわけない、
と思う方もいると思います。
僕自身も魔方陣は目に見えやすい一例で全体の一部だと思ってます。
「日本の進むべきロードマップのようなもの」があって、
それに沿って日本の進路を決めてる?
なんて事を書くとちょっと妄想がすぎるかもしれません。
(でも「聖徳太子の預言」みたいなのもありましたよね)
秀吉は家康潰しのために「江戸左遷」が行いましたが、
魔方陣を見てると江戸の地は、
将来日本の首都となるべきニューフロンティアだったと思えてきます。
熊野系を中心にしかれた魔方陣を加門さんは発見なさいましたが、
宇佐神宮と江戸を結ぶ何本ものラインもありました。
江戸の守護地「日光」も東京だけじゃなく西日本とも結びついてました。
江戸がただの湿地帯だった時から、魔方陣は敷かれてた事になります。
見えないロードマップの実行部隊はすでに秀吉を見限っていて、
そのうえで秀吉に江戸左遷を進言できる立場にいた人物?
それが誰だかわかりませんが、思惑通り江戸の開拓が始まり、
京都の次が出来上がりました。
そんな感じで地名決定も昔々から見えないロードマップによって
先手先手が打たれてたかもしれません。
そんな妄想が無理あるとしても、
わざわざ「宮城県」にあわせたのは、
千代田区一丁目の「宮城」の方なので、
ナニか作為的なことがありそうだ、と想像は出来ます。
ちょっとキツイ説ですが、好き勝手に続けます。

県知事方面から
「宮城県と宮崎県、良く間違われるんですよ」
大人気の「そのまんま知事」がおっしゃいました。
そんな間違いする人いるのかな?と思いましたが、
続けて、
「これを機会に両県の交流が出来れば…」
確かこんな発言をしたと思います。
これを聞いてなんとなく心に引っかかりました。
宮城県はちょっと前に別の県と交流を始めていたのを思い出したからです。
「三重県」です。
宮城県が「うまし国」と言うキャッチフレーズで
キャンペーンを始めようとしたらしいです。
それに待ったをかけたのが本家「うまし国」の「三重県」です。
あれこれあって両県の交流でお互いがんばりましょう、
って事になったんですが、
「宮崎」と「三重」
やんごとなき一族と縁の深すぎる二県だと思いました。
(やんごと系のホームグラウンドは「京都」ですが、
そこはあくまで「軸」で、「東京」や「西の京」は存在しても、
「京のミヤコ」は世界にひとつなんだと思います)
東北の宮城県と九州の宮崎県を間違う人もいないと思います。
「うまし国」騒動も二県をつなげる為の猿芝居だったんじゃないでしょうか。
小さな3面記事的な出来事ですが、
すでに宮城県の「やんごとなき化」が始まってるのかも…なんて思いました。
これから宮城県と「三重県&宮崎県」の交流・つながりは、
想像より大規模に進んでいくと“預言”します。

環境方面から
地球温暖化が進んでるようで、
世界中が危機感を持ってるらしいですけど、
東京も温暖化が進んでるらしいですね。
マラリア発生も時間の問題?なんて物騒な話も聞きます。
もしそうなったら、あんな巨大なお堀はいつまで存在可能なんでしょうか。
都心の中心にある巨大な森も同じです。
関東よりは東北の方が温暖化の影響は小さいと思います。
東京の「森の都」が宮城の「杜の都」へ
幼稚な言葉遊びみたいですが、だったら東京の真ん中に森を作った理由は?
誰も答えは出していないはずです。
京都の中心部も江戸城も、こんなたっぷりの森に囲まれた時代はありませんよね。

こんなの妄想かもしれませんが、
未来に宮城県に遷都した時はこの記事を思い出してください(笑)
こんなに一極集中した東京から機能移転するなんてリアリティないですが、
やんごとなき一族だけが移動なら可能だと思います。
以前から「宮城と宮城県」は気になってたんですが、
京都を軸に薩摩の反対側に宮城県があった事を知って、
ちょっと調子に乗って長々と書いてみました。
ちょっと思いついたんですが、
「九条を絶対守ろう!」ってスローガンがありますが、
音的にみると「宮城を絶対守ろう !?」でも良いんですね。
一種の「言霊作戦」だったりして…
以前同じようなのを思いついたもんで。
(国民があちこちの都道府県で体育やったりするヤツ)
これもこれから妄想していくかもしれません。

でもあくまで「軸は京都」と考えてる気配ですね。
『日本古来の伝統的な考え方によると、
高御座のあるところが天皇の正式な在所であり、
そこが本来の皇居だとする見方が存在する』
いつものようにwikiの丸写しです(笑)
東京に移ろうが宮城に引っ越そうが、やんごとなき魂は京のミヤコにある、
って事なんでしょうか…

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